良いところは、嬉しいけど、悪いところは、出来れば見たくない。
または、持っているものと持っていないものも、ある。
持っているものは、伸ばしていけばいいし、持ってないと思えるものは、必要であれば見に着けていけばいい。
有る無し、良し悪し、そんなことを誰かに指摘することは、あまり有効では、無いかも、と、最近思う。
例えば新人の講師がいると、先輩たちは、「あーじゃない、こーじゃない」褒めたり、助言したりする。
新人も「アドバイスをお願いします」なんて言う。
同僚同士でも、同じようなことを互いにすることも多いよね。
向上するために必要なのかな?
私は、ちょっと違う感覚がある。へそ曲がりなんだね、きっと。
結局、本人が今持ってないものは、そのことを本人が気づかない限り、言っても、それは、
言う側の自己満足なんじゃないかな、と、思うときもある。いつもじゃないけどね。
自分の力で一歩前進出来るには、自分で気づかないとね。
気づかせてあげる、のが、先達の仕事かもよ、と、思う。
なまじ、中途半端な助言ってやつが、気づきの機会を奪ってしまうことも、
あるんじゃないかな。うっかりプライドを傷つけたら、そうなるかも。
もっと大きく、「相手の全てを丸々受け入れる」という姿勢が、世の中にあってもいいんじゃないの?
とても向上心のある人は、黙ってたって、どんどん伸びていく。
駆け出しも、そこそこの人も、人間が誠実であれば、それなりの仕事をするよ。
どっちも、いる。
それで、良し、としようよ。
勧善懲悪的な教訓を垂れる、のは、偽善的な臭いがするよ。
遅刻が多のは、ダメよね。
でも、何故?という問いかけをしてあげないと、本人が、どうしようも無い程、
追い詰められた気持ちでいる場合もあるでしょ?
悩みがある人は、ただ、バカみたいに、じっと話を聞いてくれる人が、欲しいのよ。
悩みを、ただ黙って聞いてくれて、一緒に泣いてくれる人は、世の中には、あまりいないようだね。
普通は、助言を与えたがるよ。相手が、よけいに惨めになるだけなのにね。
「有難う、話すんじゃなかった。
自分に非があることは、重々わかっているんだ。でも、この心のモヤモヤは、その助言ってやつでは、
解決出来ない。」
解決への道は、本人の中にしか無い。だから、誰かに話しているうちに、整理が
ついくこともある。糸口が見えることも、あるかもしれない。
世間にも自分にも嫌気がさして、いじけて縮こまった心に、「それでも、あなたを愛す」という
ことを言いつづけてあげないとね。
なんで、ちょっとしたキッカケを見つけるまで、待ってあげないのかなぁ。
長いことでは、ないでしょう?人生80年もあるんだから。
忠告をした人は、良かれと思っている。確かにね。善意なんだよ。
善意だけに、相手を追い詰める。
職場環境を整えようと、必死に叱咤激励したのかな。
効率を求めると、そうなるのかな。
やりきれない事件だったね。
取りとめ無いね。所詮、ちっぽけな存在なのよ、我々人間ってやつは。
善人ですら往生する、まして、悪人をや。親鸞。
合掌。
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5 comments so far
por*or*5Posted on 9:50 pm - 11月 4, 2006
この記事を見て自分の中で何かが変わった気がしました。講師という点でも勉強になりましたし、人間としても勉強になったと思います。hibiさんに感謝です。ありがとうございました!
匿名Posted on 7:04 am - 11月 5, 2006
まあ、どうしましょう!!少なくとも、このような事件が、これ以上、起こらないでほしいですよね。皆そう思っているのにね。
por*or*5Posted on 11:55 pm - 11月 5, 2006
hibiさん はい、最近教育関連の事件が多く目につきます。今は多めに報道されているだけで以前からもこういった問題はあったのかも知れませんね。
匿名Posted on 10:14 am - 11月 7, 2006
porporさんは、先生志望なんでしたっけ?きっと、人気ものの先生になるでしょうね。
por*or*5Posted on 4:28 pm - 11月 7, 2006
hibiさん 先生も夢の一つであり、参考書を作ることも夢です。アルバイトの塾のほうでは、人気ものの先生目指して頑張ってますよ!